「東京百話 天の巻」・・・永井荷風の文章

今日、永井荷風の文章をうまれてはじめて読みました。すばらしかったです。
定点カメラを設置して、何日も撮影した映像を滑らかに早回しにして見ているような、するすると流れるような、奥行きと広がりのある風景と時間の流れの描写に、圧倒されました。
この時分には秋になったといっても、夕日の烈しさは昨日となった夏にかわらず、日の短さもめにはたたない。のうぜんかつらはますます赤く咲きみだれ、夾竹桃の蕾は後から後からと綻びては散って行く。百日紅は依然として盛りの最中である。そして夕風のぱったり凪ぐような晩には、暑さは却って真夏より烈しく夜ふけの空にばかり、稍目立って見え出す銀河の影を仰いでも、往々にして眠りがたい蒸し暑さに襲われることがある。然し日は一日一日と過ぎて行って、ある日驟雨が晴れそこなったまま、夜になっても降りつづくような事でもあると、今まで逞しく立ちそびえていた向日葵の下葉が、忽ち黄ばみ、いかにも重そうな其花が俯いてしまったまま、起き直ろうともしない。糸瓜や南瓜の舒びた蔓の先に咲く花が、一ツ一ツに小さくなり、その数もめっきり少なくなるのが目につきはじめる。それと共に、一雨過ぎた後、霽れわたる空の青さは昨日とは全くちがって、濃く深く澄みわたり、時には大空をなかば蔽いかくす程な雲の一団が、風のない日にも折重なって移動して行くのを見るであろう。それに伴い玉蜀黍の茂った葉の先やら、熟した其身を包む髯が絶えず動き戦いでいて、大きな蜻蜓がそれにとまるかと見ればとまりかねて、飛んで行ったり飛んできたりしている。一時夏のさかりには、影をかくした蝶が再びひらひらととびめぐる。蟷螂が母指ほどの大きさになり、人の跫音をききつえ、逃るどころか、却って刃向うような姿勢を取るのも、この時節である。

    「虫の声」 永井荷風

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by takibi-library | 2006-01-11 23:26 | いつも読書 | Comments(2)  

Commented by saheizi-inokori at 2006-01-12 10:33
ほんとうだ!定点カメラで捕らえた映像、目に浮かんできます。
Commented by takibi-library at 2006-01-12 21:55
そうなんですよ。
ほかの作品も読んでみたいと思っています!

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