「私の幸福論」:今日もくり返し読んだ部分

将来、幸福になるかどうかわからない、また「よりよき生活」が訪れるかどうかわからない、が、自分はこうしたいし、こういう流儀で生きてきたのだから、この道を採る―そういう生き方があるはずです。いわば自分の生活や行動に筋道たてようとし、そのために過ちを犯しても、「不幸」になっても、それはやむをえぬということです。そういう生きかたには、私たちの親の世代までには、どんな平凡人のうちにも、わずかながら残っておりました。この自分の流儀と自分の欲望とが、人々に自信を与えていたのです。「将来の幸福」などということばかり考えていたのでは、いたずらにうろうろするだけで、どうしていいかわからなくなるでしょう。たまたま、そうして得られた「幸福」では、心の底にひそむ不安の念に、たえずおびやかされつづけねばならりますまい。それは「幸福」ではなく、「快楽」にすぎません。
こういうふうに、書いて(打って)みると、ますます言葉が、心に覆いかぶさってくるような圧力をもってきます。

この言葉を、本当に私の選択を後押しするものとして理解していいのか。
きっとそうだと思う気持ちと、単にすがりたいだけだと疑う気持ちと、"いたずらにうろうろ"しています。

何度も読んで、この言葉をきっと私自身の「教養」にします。
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by takibi-library | 2006-06-14 22:20 | いつも読書 | Comments(4)  

Commented by saheizi-inokori at 2006-06-15 09:14
具体的な問題にぶつかったときに、きっとあなたは自分の道をたどり続けると思います。
Commented by takibi-library at 2006-06-15 23:25
「そんなぁ」と、こそばゆく思うけれど、励まされます。
ありがとうございます。
Commented by Yaga at 2006-06-16 00:48 x
その言葉を、本当にkunugieの選択を後押しするものとして理解していいんです。私が保証します。kunugieのたどりつく所は、明らかに快楽ではなく幸福です。
Commented by takibi-library at 2006-06-17 00:13
Yagaちゃん、ありがとね。

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