「或る『小倉日記』伝」読了

軽い読み物から、実在したモデルのある伝記ものまで、重さはそれぞれですが、どれも報われることの少ない生き様を描いた短篇ばかりでした。

それぞれ別の話でありながら、全体として、何かを成し遂げようとする人にとって、才能と境遇がバランスしない、とくに、高い才能を持ちながら、恵まれない境遇にあることがどれほど克服しにくいことかが、しつこいくらい描かれています。そのせいか、しなくてもいいことかもと思いつつ、わが身に当てはめてしまい、戦慄しました。

私はひとりではがんばれない性質です。かといって、いくつかの作品に出てくる、才能ある主人公を献身的、犠牲的に支える人(親であったり、配偶者であったり)がほしいわけでもないです。
ともすればひとりで抱え込もうとする悪癖や、独りよがりな不寛容に陥りるのが怖いので、「これでいいのかなぁ」と周りの人にたしかめながら、「いいと思うよ」とちょっとほめられながら進みたいと思うのです。こういう気持ちは覚悟が足りないのでしょうか・・・。

松本清張自身、作家として成功するまで時間がかかったそうです。解説には次のように書いてありました。
ひとたびは現世的なものを超えるために学芸の世界に身を投じながら、その学芸の世界を現世的な保証に代置したいという彼らのコンプレックスの悪循環をぬきにして、ただ学芸の世界の現世的な側面だけを責めるわけにもゆかぬはずである。しかし、彼らはついにそのことを悟らない。「断碑」の主人公の無謀な外遊なぞ、その明らかな証である。実はここにこそ彼らのアンバランスな不幸が胚胎しているのである。無論、作者はそういう彼ら特有の不幸を洞察している。現にこの作者は陋巷に窮死せず、中年にしてよく文学の世界に身を立てたのが何よりの証拠というべきだろう。
実際、作品では主人公たちの不遇の理由がこのように明瞭には語られません。でも、それはあくまでもこれは小説であって、ハウツー本ではないからです。
淡々と彼らの生き様だけを書くだけでも、その悪循環が読者に重く伝わってくる、そのことがこの作品群の持つ力、作者の文章力なのだと思います。

合間に楽しげな本も読みながら、松本清張短篇集はしばらく読み進めたいです。

或る「小倉日記」伝
松本 清張 / / 新潮社
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by takibi-library | 2007-03-08 10:45 | いつも読書 | Comments(0)  

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