「高丘親王航海記」読了:はじめての澁澤龍彦

1週間くらいかけて、寝る前に少しずつ読み進めて、今日の昼間、読み終わりました。
おもしろかったです。

天竺を目指す高丘親王一行の物語。
時代は奈良時代(かな?)。その頃、日本から天竺(インド)へ行くというのは、大冒険です。けれども、物語はどちらかというとのんびりとしていて、一行は不思議な体験をするのですが、それもどこか、微笑ましいおだやかな印象でした。かといって、異国情緒はふんだんに味わえますし、1章終わって、灯りを消すたびに、この先どのような人や動物が親王を待ち受けているか、期待が膨らみました。私も一行に加わっているような気分で。

高丘親王は一時は皇太子であったのですが、政争に巻き込まれ、罪も無いのに皇太子を廃され無品親王にされてしまいました。それから10年ほど経ってから、仏門に入り、67歳の時に天竺行きを決意したのでした。

みこ(親王をおつきの者たちはそう呼びます)が仏門へ入ったこと、天竺へ向かって出発したことは、どちらもそれまでに考えに考えた結果のことでした。けれども、
親王はなにかを求めて、ひたすら足をうごかしていた。そしてつらつら考えてみると、自分の一生はどうやら、このなにかを求めてあしをうごかしていることの連続のような気がしないでもなかった。どこまで行ったら終わるのか。なにを見つけたら最後の満足をうるのか。しかしそう思いながらも、その一方では、自分の求めているもの、さがしているものはすべて、あらかじめ分っているような気がするのも事実であった。なにが見つかっても、少しもおどろきはしなかろうという気持ちが自分にはあった。ああ、やっぱりそうだったのか。全てはこの一言の中に吸収されてしまいそうな予感がした。
このみこの予感と同じような感覚が、私にもときどきあります。

私は、それほどドラマチックな人生を歩んでいるわけではありませんが、たまには少なからず衝撃を受けたり、二の句がつげないほど呆然としてしまうことに遭遇します。そんなとき、それもたまにですが、「びっくりだけど、やっぱりね」と思って、妙に納得してしまうのです。
私は自分のそんなところがときどきいやになります。こんな悟ったふうに思えてしまうことが、なにか人間的に間違っているんじゃないかと。

でも、みこといっしょだと思うと、気にならなくなります。みこはそんな人なのです。
もう一度、みこと旅に出たいです。

高丘親王航海記
渋澤 龍彦 / / 文藝春秋




※私が持っているのはハードカバーの豪華版です。
 ところで、調べたところによると、澁澤龍彦の遺作だそうです。
 遺作を最初に読んでしまいましたが、まぁ、それはそれで(笑)。
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by takibi-library | 2007-04-01 21:42 | いつも読書 | Comments(0)  

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