「にんげんのおへそ」:経験の層を重ねること。

高峰秀子さんのエッセイは、彼女の人生に蓄積したさまざまな経験の層でろ過された水のようだと思います。
彼女自身の実際の体験談であるのに、不思議と生々しさがなくさらりとしています。けれども、その文章の流れに触れ、手を浸すように思ってみると、高峰さんのそのときの感情がちゃんと伝わってきます。

たとえば、旅行に出るときに夫と自分のお弁当を作るとき。
たとえば、養母に実母の写真を粉々にちぎられたとき。
たとえば、映画の撮影ですばらしいスタッフに囲まれていたことを思い出すとき。

多少のシチュエーションの違い、スケールの違いがあっても、ふと私の身に降りかかったこと、私が大事に持ち運んで生きていることと、素直に「いっしょだ」と思えるのです。
それはこちらからの共感ではなく、高峰さんの許容なんです。ささやかな楽しみも、自分でも驚くような憎しみの気持ちも、その思い出がずっと自分を励まし続けてくれる温かさも、人生なんだから当たり前にあることなのだと。それを自分で持ち歩き続けるだけだと。それについて自慢することも、恥ずかしく思うことも必要ないのだと。

年を取ってから透き通った水が流れるように思い出を語るために、経験の層を今、少しずつ厚くしていきたいです。
明日また1枚、薄い1枚がひらりと重なるように。そんな願いを小さく握りしめて夜明けを待知わびながら、ふとんにくるまろう。

にんげんのおへそ (文春文庫)
高峰 秀子 / / 文藝春秋
ISBN : 4167587068
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by takibi-library | 2008-01-30 23:09 | いつも読書 | Comments(0)  

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