「華の碑文」読了

おもしろかったです。
これまで能を何度か鑑賞したり、能楽師の方の話を聞いたりする機会があったのですが、興味が湧きませんでした。でも、この本で描かれる観阿弥、世阿弥、田楽、猿楽にはひきつけられました。

能は500年生き続けています。しかし、そのための強固な礎を築いた世阿弥の生涯は、ひとりの人間としてはあまりにかなしく、虚しいものであったと思いました。
「これからも、けっして倖せを求めてはいけないよ元清。そうすれば、お前は安らかでいられる。お前はお前ひとりっきりの繭の中で、ひとすじに能を追ってお行き」
息子の「独りぐせ」をいとおしく思っていたというこの元清(世阿弥)の母親の言葉が、最もかなしかったです。かなしくもあり、この100%の肯定がなによりも力強く、たくましく感じられました。
「倖せ」と「安らかさ」が両立しないということが正直なところ理解できない、したくないのですが、せめて、この言葉がいくらかでも元清の背を押したのであれば、いくらかは救われそうです。

また、南阿弥のこの言葉も強く印象に残っています。
為政者が何回替代し、世の中がどう変わっても―たとえばあの、白い昼の月……あの月の世界を、人間が征服する時代が来たとしても、ほんとうの美は生きつづけるだろう。そしていつの世も、ほんものを識りそれを守り、次代へそれを渡してゆくのは知識層だ。それが知識層の義務なのだ。大衆をあなどってはならない。が、不易の美を伝承してゆく資格でいえば、大衆はあてにならないものだ。
南阿弥は人間を知識層と大衆に分けるのですが、私自身は大衆に入っていると自覚しています。

自分がよいと思ったものを大切にする、という気持ちは持っていますが、「次代へ渡す」というある種の使命感は今のところありません。
時分の美をむさぼり、飽きたら次の関心事に移っていく。気楽なものです。もしこの先、能を鑑賞するようになったとしても、自分の気持ちはいつか冷めて、けっきょくそれまでだと思います。

ただし、本のことについては少し違っていて、私自身の心の糧となっている本については、ちゃんと保存をしようと思いはじめています。
まずはグラシン紙をかけることと、リストを作ること、かな。

華の碑文―世阿弥元清 (中公文庫)
杉本 苑子 / / 中央公論新社
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by takibi-library | 2008-04-16 23:04 | いつも読書 | Comments(2)  

Commented by saheizi-inokori at 2008-04-17 08:37
でも能をみるといいですよ。
今、その時分なのかどうかはわかりませんが。
一度は、いや、三度は(時をおいて)観ることをおすすめします。
Commented by takibi-library at 2008-04-17 08:51
今、時間があるので見ようかなぁと思うことがあるのですが、あと1歩がなかなか出ません。でも、この本はきっかけになりそうな予感を与えてくれたと思います。
そのうちに「時分」がめぐってきそうです。

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