「サフラン・キッチン」読了

読み終わりました。難しい小説でした。
宗教や文化の違いをどこまで考慮したらいいのか。イランの習慣や常識的とされる考え方を、こちらの感覚に基づいて良し悪しを判断することは意味のないことです。それはとりあえずおいといて・・・(考える気力なし)。

娘の流産、母の出奔、なぜか母は帰らないと悟っている父、説明するといい続けてしない母、読み進めたくなる要素はたくさんありました。異文化に触れる楽しみもありました。
けれども、読み終わったときにあまりすっきりしないのです。

「で、何が言いたいの?」

昨晩読み終わったときに、そう思ってしまいました。
「察してほしい」「言わずにすませたい」「わかるでしょ?(わからないの?)」というような雰囲気がもやもやと残り、なんか気持ちが悪いのです。当然、寝つきも悪く(笑)。

それから、どうしてタイトルが「サフラン・キッチン」なのかもわかりませんでした。
娘が自宅の台所の壁をサフラン色(深い赤色)に塗る場面はあるのですが、なぜその色を選んだのか、そこにどのような想いが込められているのかについて、「そうか」と思える納得のある答えが、読み終わったときに見つかっていませんでした。

まぁ、どちらも私の理解力の問題だとは思いますが・・・うーん。

サフラン・キッチン (新潮クレスト・ブックス)
ヤスミン・クラウザー / / 新潮社







今日一日考えてみて、私がすっきりしなかった理由がいくつか見えてきました。

けっきょく、母とその父(娘にとっては祖父)が二人とも「自分の正義」を頑迷なまでに貫く、ある種の困った人なのです。この小説に描かれる不幸は、ぜんぶ、この二人のせい。時代や習慣といった、どうしようもないことが原因なのではありません。
母は「わたしが恥をかかせると、父はわたしに恥辱を味わわせた」と言いますが、本当は「自分が味わわされた」ことしか考えていません。彼女の父もそう。相手が恥ずかしく思った気持ち、傷ついた痛みについて思いやることをしません。母の場合は娘に対してもそうなのです。たぶん、自分がいちばん傷ついていると思っているのです。口では「あなたを傷つけた」と言っても、「でも、わたしはもっと傷ついている」から許されるとタカをくくっています。これが、どうにもたまらない。

それから、その困った母の周囲にはやたらといい人ばかり(もちろん父親は除く)。イギリス人の夫、イランに残っている若かりし日の想い人、頼りにしている医師、すごくよくできた人たちです。これがいかにも都合がいい感じがして、少ししらけてしまいます。

娘が母を問い詰めるところでは、「そうだ、そうだ、もっとやれー!」と盛り上がったんですけどね!
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by takibi-library | 2008-05-17 22:03 | いつも読書 | Comments(0)  

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