「あした来る人」読了

昭和30年に出版された当時の「現代」を描いた小説です。
いろいろな点で今とは違うのですが、この作品の登場人物たちは近くにいそうでいない、あるいはこんなふうに生きたい、これは自分のことだ、そんなふうに距離感で印象を持つところは今読んでも同じだろうと思いました。

主な登場人物は、大貫克平・八千代夫妻、曾根二郎、山名杏子、八千代の父・梶大助の5人です。
克平、八千代、曾根は30代、杏子は20代、梶は60代で、若い4人の群像劇として物語は進みますが、最後まで読むと主題を握っているのは梶だったのだと気づかされます。

あした来る人 (新潮文庫)
井上 靖 / / 新潮社






というのも、4人それぞれと確かな繋がりを持っているのは梶ひとりなのです。
実の娘である八千代はもとより、他の3人にとっても、梶の存在は大きく、頼りがいがあります。
それがよく表れているのが、八千代と別れること話し合っている克平にヒマラヤへの登山資金の援助を申し出て、克平にこう思わせるところです。
こてんこてんにやられたという気持ちだった。父親として、これほど大きな父親は、この世のどこにあるであろうか。しかし、これで最後の金もできた!やはり梶大助に話してよかったと思う。それが梶大助自身の金であることも、やはりいいことである。父親(八千代と別れても、克平は梶大助を父親として考えることを改めまいと思った)の金で山に登る登山家はめったにいないだろう。
父親のために前人未到のヒスパーカングリの山頂に、石を一個置いて来なければなるまい。

梶は、4人それぞれにその大きな手を差し伸べます。
そして、当人たちの選択に介入しようともしないし、自身が選択の理由になりたくないと思っています。
梶は久しぶりで気持のいい散歩をしたと思った。こうした場所を歩くのは何年ぶりだろう。何十年ぶりかも知れない。そののんびりした気持の中で、梶は杏子の背後姿をながめながら、この若い羚羊を自由にしてやらねばなるまいと考えていた。
克平にしろ、曾根にしろ、八千代にしろ、みんな欠点があるが、どこかに自分などの若い時持っていなかった純粋なものがある。その純粋なもののために、みんな傷ついたり回り道をしたりしている。それでいいのかもしれない。
しかし、やがて、彼等は完全な人間として、あしたやって来るだろう。杏子もまたそうでなければならぬ。自分がこの娘にしてやれることは何もないようだ。あるとすれば自由にしてやることだけだ。知らず知らずのうちに、自分は杏子を縛っていたのかもしれない。

若い頃に梶のような父性に接する機会は誰にでもあるかはわかりません。しかし、スケールの違いはあっても、私は、思い込みかもしれませんが、そういう人々にいくらかは恵まれているようです。それに気づいたのは、この本を読んで、ですが。
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by takibi-library | 2008-11-14 11:43 | いつも読書 | Comments(2)  

Commented by wildbirdschase at 2009-02-28 21:44 x
こんばんわ。僕も先ほどこの『あした来る人』を読み終わりました。あした来る人、ってそういう意味だったのかぁ、と最後でわかりました。読み終わっても暫く余韻が残りました。久しぶりに井上靖らしい小説に出会って、読んでてとても気分が良かったです。僕はこの小説を読んでる間、ずっと一体誰が主役なんだろう、って思っていました。読み終わって思ったのは、井上靖自身も、もしかしたら、この小説を書きながら迷っていたのかもしれないなぁ、とそんな風に感じました。勝手な想像ですが、この物語を終わらせる役割を梶大助に任せたような、そんな感じがするのです。
Commented by takibi-library at 2009-03-01 16:54
wild birds chaseさん、はじめまして。
そう、読み終わるまで題名が謎ですよね。私はいろいろな「終わり」がつまった作品だと思いました。読むと、終わりはかなしいばかりではないことがわかります。人はひとつひとつ終らせて、はじまり(あした)を迎えるのですから。
井上作品をほとんど読んでいませんが、これはおもしろかったので、歴史ものじゃない作品から読みすすめたいと思いました。

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