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「珈琲とエクレアと詩人」読了

読み終わった本はいっぱいあって。これから少しずつ読書感想をUPしていきます。

エクレアが好きです。シュークリームも好きですが、エクレアも作っているお店はシュークリームほど多くなくて、見つけるとうれしくなります。
ウエストの、いかにもシュークリームの変形みたいなものも、ブーランジュリーのきつね色に焼いたしっかりした歯ごたえのものも、エクレアと名前がついていればそれでいいんです。

そんなわけで、往来堂の棚に「珈琲とエクレア」という文字列を見つけたとき、ケーキのショーケースに「エクレア」の札が並んでいるようにうれしくて、思わず手に取ってしまいました。
中身がどうとかではなく、「詩人」はとりあえず置いておいて、「珈琲とエクレア」で、買い。

でも、この本は「詩人」の話。

わたしにとって詩人は遠い存在で、それに対して、少し偏見を持っています。いろいろ変わっているだろうとか、生活能力がなさそうとか。
この本で描かれている北村太郎さんも、そんな偏見を払しょくするタイプではなく、親友の妻と同棲してして、ふたりして少し心が弱く、身体も弱く(年齢的なものもある)、そのために家事が行き届かなくて家の中が不衛生になってしまうことがあります。
そして、そういうことはわたしにはいささか不快で、あまり見たくなくて、楽しく読めるものではありません。ふだんは。

でも、読んでいていやな感じはしませんでした。
静かな物語ですが、いやな感じがしないという事実はわたしにとって衝撃でした。

それはひとえに、著者の橋口さんの語り口のおかげだと思います。
大切な友人の話を聞かせる、そういう語り口。わたしは橋口さんの知り合いでもなんでもないけれど、その場で「あなたの友だち」の話を聞いているから、目の前の人も含めた近しさが、わたしの中の偏見という一般論が入るすきを作らなかったのだと思います。

この本の持つ親密な空気は、これからも何かにつけわたしをなぐさめてくれるでしょう。
くいしんぼうの気質で衝動買いした本でしたが、思いがけず大切なものになりました。よかった。

珈琲とエクレアと詩人 スケッチ・北村太郎

橋口幸子 / 港の人


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by takibi-library | 2012-09-07 08:35 | いつも読書 | Comments(0)  

鴻上尚史さんの「ごあいさつ」

昨日は「音楽劇 リンダリンダ」を見てきました。

鴻上尚史さんのお芝居を観るのは2001年の第三舞台封印公演以来だと思います。お芝居そのものも楽しみでしたが、個人的にはチラシやアンケートと一緒に配られる「ごあいさつ」を読めることがとてもうれしかったです。

「ごあいさつ」はB5のノートの見開き2ページに手書きでつづられた文章です。相変わらずのB5、相変わらずの文字(そういえば台本はいまだにB5で残っているもののひとつ)。
内容は演目に関係があったりなかったり。いつも共通しているのは、はっと、強いインパクトを持って気づかされることがある、という点です(わたしの場合)。

今回は、「酒に酔って、以前演劇を通じて交流のあった若者たちの消息をインターネットで検索してしまう」という話でした。
こういう時、インターネットが人間の感性を変えたとしみじみします。それぞれの人生の今を、こんなに簡単に知ってしまうことは、直感でしかないのですが、僕の人生そのものに決してよくはないだろうと思います。
誰かの人生を知るには、インターネットのない時代は、自分の今と引き換えが条件でした。
(略)
けれどインターネットは、こっちの人生をまったく提出しないまま、相手の現在を知ることができるのです。

わたしはこれを読んで、がっくりと気落ちしました。漠然とした影としか見えていなかった違和感の正体を見せられたからです。
わたしは何も提出していないかもしれない。いろいろなことをただ乗りしているかもしれない。

こういうふうに、もやもやとした像を言葉に落とし込んでくれる、あるいはお芝居として目に見える形にしてくれることを才能というのだと思います。
鴻上さんがこれまでに書いた「ごあいさつ」をまとめた本があったらいいのに。

と思って調べたらありました。まさにそのまま「鴻上尚史のごあいさつ」。これから往来堂さんへメールします!
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by takibi-library | 2012-07-15 13:03 | いつも読書 | Comments(0)  

「安閑園の食卓 私の台南物語」読了

物語のようなエッセイでした。

著者は1930年代に台南で生まれ、結婚するまでの約20年間を実家である「安閑園」と呼ばれるお屋敷で過ごしました。そのころの思い出をつづったのがこの本です。
敷地は広大で、野菜畑や果樹園があり、二人の兄の一家も一緒に住んでいます。裕福な大家族、わたしにはそれだけでとくべつな物語のように思えました。

くいしんぼうにとって、何より興味深かったのは、母とお抱えの料理人とがもたらす豊かな食生活。
中には「血液料理」とか「豚の脳みその料理」とか、ぎょっとするものもあるけれど、季節や生活の節目に家族と食べる料理など、いかにも豪華で手の込んだものは、文章だけでも華やかさが伝わってきて、夢のようです。
ところどころに、無理だとわかっていながら載せている(と思われる・笑)レシピもおもしろいです。作り方が日本では聞いたこともない方法のこともあって、その光景を想像するとわくわくします。

食べものの話はわかりやすいお楽しみですが、この本には家のしきたりや、季節行事、風習なども描かれています。日本に暮らすわたしにもピンとくるもの、近そうで全然違うなと思うこと、いろいろです。

今、「日本に暮らす」と書いたけれど、それだけでくくっていいのかなと、思いました。
わたしは、ふだんは両親と妹との4人家族でしたが、21歳のときまで母方の曾祖母が存命だったので、ずっとそれこそ盆と正月には曾祖母を頂点とした大家族が顔をそろえて食事をしていました。多いときは40人くらいいたのではないでしょうか。
曾祖母の家=母の実家は仕出し屋をしていたので、それだけの人数をまかなうインフラがあったからでもありますが、親のいとこの子どもの顔や名前がわかるというのは、近いところで父方の親戚の認知度と比べても、珍しいことだと思います。

父方は、父が4人兄弟だったので、わたしにはいとこがけっこう多いです。東京や大阪にいたり、父の生家のある山梨にいたり、みんなばらばらですが、法事などにはわりとみんなよく出てきて、会うと小さいころの思い出話や近況について話すことが楽しいです。男の子(という年でもないけど)たちのお嫁さんも子どもたちもいっしょに来てくれて、とてもにぎやかになります。こういうとき、子どもってすごいなと思います。お年寄りが「若い人がいるっていいわねぇ」という気持ちがわかるような。身近に子どもがいない分、よけいにそう思うのかもしれないけれど。

そういうこれまでの経験から、著者の暮らしぶりに共感する部分がかなりありそうです。

この本を読んで、こういう親戚づきあい、血縁とか血族とかいうものの感覚をあらためて意識しました。
最近よく耳にする「コミュニティ」がどうもしっくりこないのも、地縁、血縁に基づく旧来のコミュニティの考え方にわたし自身が思っている以上に慣れ親しんでいるのではないか。それで今の新しい定義の「コミュニティ」に戸惑っている、旧来のコミュニティほど気楽にいられないと感じているのかもしれません。

なんだかちょっと重たい話のようですが、本人は「そういうものかもね」とひとりごちているだけのつもりです。
「安閑園の食卓」は、くいしんぼう万歳の心で楽しんでいい本ですから、興味のある方はぜひ。

安閑園の食卓 私の台南物語 (集英社文庫)

辛永清 / 集英社


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by takibi-library | 2012-07-06 22:20 | いつも読書 | Comments(0)  

「計画と無計画のあいだ」読了

読み終わって、1週間経ちました。

周りに最近読んだという人がけっこういる、ということがふだんはあまりないこともあって、さらに、周囲の評判とわたし自身が感じたことに差があって、感想の書き方にすこし悩んでいました。めんどうくさいから、書かないでおこうかなとも思いました。
でもその差は、10年以上勤めた大企業を退職してもうすぐ6年経つわたしが折につけ感じていて、どうにかしたいと思ったり、どうにもならないとあきらめていることそのものでもあるので、一度、収拾がついていないなりに文字にして、後日、読み返してみようと思います。

計画と無計画のあいだ---「自由が丘のほがらかな出版社」の話

三島邦弘 / 河出書房新社



われながらあまのじゃくな感想です。
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by takibi-library | 2012-06-03 00:19 | いつも読書 | Comments(0)  

「澁澤龍彦との日々」読了

澁澤龍彦の本は、「高丘親王航海記」と「フローラ逍遥」しか読んだことがないのですが、この2つが大好きです。

先日の南伸坊さんの書評で、奥様の澁澤龍子さんのエッセイがあると知って、書評で紹介されているのは「澁澤龍彦との旅」ですが、まずは先に出ていた「澁澤龍彦との日々」から図書館で借りてきました。

とても自然な、近所に暮らしていそうな夫婦の様子が描かれていて、楽しかったり切なかったり、ずっと読んでいたい、この空気の中で過ごしていたいと思いました。
そしてうれしかったのが、龍子さんが澁澤作品の中でいちばん気に入っているものが「フローラ逍遥」(単行本は絶版)だと書いてあったこと。装丁のすばらしさもその理由の一つに挙げていて、わたしが古書の即売会で手に入れたときのよろこびが分かち合えたようで、この本を読んだ思い出にしたいです。


ところで、内容だけでなく、「澁澤龍彦との日々」の単行本は糸綴じであることも魅力的です。ベッドで寝転がって読むにも、テーブルについて読むにしても、本を押さえたり、支えたりしなくていいと、読書ってさらに快適なのです。

でも、糸綴じということは、手製本しやすいということ……ゆくゆくは「~日々」「~旅」2冊入手して、好きな布で製本……夢が広がり過ぎてたいへん、たいへん!

澁澤龍彦との日々

澁澤 龍子 / 白水社


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by takibi-library | 2012-05-25 22:06 | いつも読書 | Comments(0)  

「39歳 女の愛の分岐点」読了

ふだん手に取りもしない本をたまには読んで、守備範囲を広げておきたいと思っています。幅広いジャンルを楽しめたら、「読む本がない」とくよくよすることが少なくなるから、よい読書生活のための基礎的なトレーニングって感じです。

先日読んだ南伸坊さんの書評で気になった、植島啓司さんの本を図書館で借りました。書評で紹介されたものは貸し出し中だったので予約を入れて、比較的新しくてすぐに借りられるものを選んだら、この「39歳 女の愛の分岐点」でした。

タイトルが、けっこうはずかしい。でも、南さんの書評に「その澁澤龍彦さんに「あなたは本当にいろいろなことをよく知っているねえ」と言われた、植島啓司さん」とあったんだからと、気持ちを強く持って読みました。

実際は、そんなに力を入れなくても楽しく読めました。
ひとりもののわたしがひそかに思っていた結婚生活の難しさが、具体的な理由も一緒に、まじめに書いてありました。かといって難しい話や専門的な話はなく、読んでいる間始終ゆかいでした。
自分もそう思っていた!というのではなく、そういうことだったのかと、考えを整理してもらえたすっきり感があって、読んでよかったと思っています。

なんか、ますます、これからが楽しみになってきましたよ。

39歳 女の愛の分岐点

植島啓司 / メディアファクトリー


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by takibi-library | 2012-05-16 22:15 | いつも読書 | Comments(0)  

「ゴロツキはいつも食卓を襲う」→オノ・ナツメさんの絵が好きだ!

Twitterのタイムライン上に出てきて知った本です。

「フード理論」というのは、物語に出てくる食べもの、飲みものの役割には一定の法則があり、人々の共通認識となっているということを解説するものです。

・ゴロツキはいつも食卓を襲う
・賄賂は、菓子折の中に忍ばせる
・スーパーの棚の前で、ふたりが同じ食品に手を伸ばすと、恋が生まれる

などなど、どれも前後のセリフまでなんとなく想像できるほど当たり前のこと=ステレオタイプです。
それをあえて解説してもらうと「そういうわけだったのか!」と新鮮にやられた!と感じることができる、楽しい本でした。


ところで、タイムラインで知ったのは、この本の出版を記念して開催された、オノ・ナツメさんの挿画の複製原画展があることでした。
オノ・ナツメさんのまんがは「COPPERS」を読んだきりですが、とても気に入っています。
そんなに遠くないところだし、ちょっと見たその絵がなんかすてきでふらふら~と出かけてしまうにはじゅうぶん魅力的だったのです。

絵のことを伝えるのはきっと絵心がないから難しい。でもとにかく、黒の線がパキパキとして、かわいかったり、滑稽だったりするなかに、かっこよさが入っているのです。それにすっかりまいってしまって、「オノさんの作品読まねば」熱が急上昇しました。

ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50

福田里香 / 太田出版


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by takibi-library | 2012-05-03 22:48 | いつも読書 | Comments(0)  

「いろんな気持ちが本当の気持ち」読了

読んだきり感想を書いていない本がたまっていて、さらに今日、また本を買ってしまう。せめてその前に、と、これから続けざまに書いていこうと思います。

まずは、長嶋有さんの「いろんな気持ちが本当の気持ち」。雑誌などに掲載されたエッセイをまとめた本です。
手がけたあとがきや、自作についてのもの、ちょっとふざけた感じの軽く笑えるもの、いろいろ入っていて楽しい1冊になっています。
けれども、わたしにとってはときどき強く響いてくるものがありました。

今年に入ってもう少しで3か月。計算して確認してはいないけれど、たぶん、わたしは去年より多く新刊本を買っていると思います。それには、年の初めのほうでこの本を読んだことが作用しています。

わたしが楽しませてもらっている同じ時代を生きている作家たちが書き続けるためにわたしができることは、その本を買うことだけなのです。
もちろん、全部を買い集めることはできないけれど、これぞという作家さんの本は借りてすまさない。古本屋に出るのを待たない。そういう気持ちで今後の読書生活を送っていこうと決めました。古本であれやこれややっている立場としては矛盾していますが、その矛盾も片手に提げつつ。

いろんな気持ちが本当の気持ち (ちくま文庫)

長嶋 有 / 筑摩書房


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by takibi-library | 2012-03-24 09:54 | いつも読書 | Comments(2)  

「夜中にジャムを煮る」読了

単行本が出た当時から、題名が何かの呪文のように「効いて」いました。
だから文庫化がうれしかったのですが、カバーが予想とだいぶ違っていたせいか、急に冷めてしまいました。でも、やっぱり読みたい。状態のいい古書が見つかったので即買いしました(そして即文庫本葉書化)。

読んだ日は、とくべつな原因もないのにちょっと気落ちしていました。分厚い本を開く気分じゃなくて、確実に楽しく読めるものがしい気分でした(この点、平松さんのエッセイはわたしにとってとても手堅い選択)。
そして、どこから読もうかぱらぱらめくっていたら、「今日は何も食べたくない」というタイトルを発見。食事を作るのがめんどうでめんどうで、そのだらしなさにまたへこむ、という状態だったので、迷わずその、最後から2つ目の文章から読みました。

読んで、とても楽になりました。
読んでから、妹に「今日の夕飯は頼む」とメールをして、ちょっと眠って、すっかり元気になりました。

ちっともシリアスじゃないし、おいしそうな話が満載で、全体的には楽しい本ですが、食べることは暮らしの中に(中心だったりすみっこだったりいろいろな位置に)あるものだということが、なんとなく実感できるような気がします。
実感しても、実感でなくてもいい、そんな押しつけがましくない「食の話」が集めてあることが、平松さんの本を求める理由です。

夜中にジャムを煮る (新潮文庫)

平松 洋子 / 新潮社


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by takibi-library | 2012-03-07 23:05 | いつも読書 | Comments(0)  

「カワハギの肝」読了

京料理をこきおろす食エッセイがあると聞いて、興味津々で読みました。

著者は杉浦明平。わたしは知らなかったのですが、イタリア・ルネサンスを研究した方だそうです。
本人いわく「食いしんぼうとういうより偏食家」というだけに、好き嫌いがはっきりしています。基本的には、子どものころから食べつけていないものに対しては手厳しいです(ちなみに、愛知県の海岸部の出身)。
ただ手厳しいのではなく、満足な食生活のために、売っていないものは自分で育てるのですから、口ばかりではありません。だから、安心して痛快さを楽しむことができます。

問題の(?)京料理についてですが、
京都は海から遠くて、海の幸にめぐまれていない。古代には日本人も鳥獣の肉を食べ、チーズなども食べていたけれど、平安朝以後仏教の影響もあって肉食の風習がなくなってからは、琵琶湖の淡水魚か塩もの干ものしか手に入らなくなったのだから、そんな土地で料理ができるわけがない。中世の公卿の日記に出てくる食べものでわたしたちの食欲をかき立てるようなものはほとんどない。うまい料理がつくれぬかわり、目でごまかそうとして、いわゆる四季の色をそえた日本料理が発達したのであろうが、肝心の味については、文化の中心地京都で、うまいものといったら、漬け物だけということになった。

この次の一文が強烈で、手厳しいを通り越して、かなりひどい(文庫本葉書に使うかもしれないからここには引用しませんが・笑)。
でも、著者の言い分について、わたしは半分くらいは賛成してます。ここまでは言い切れないけれど。

前からなんとなく「おばんざいって、どれもこれも副菜だよね」と思っています。

著者と違って自信のないわたしはこのことを言うだけでびくびくしているのですが、わかりやすい主菜なしで副菜ばかりずらずら並んでいる食卓を想像すると、「パンはやらずにスープでごまかし」という一節も思い出され、貧しさを感じてかなしい気分になります。
そのせいか、著者の過激な意見もわりとすんなり受け入れられる、正直なところスカッともするのです。

カワハギの肝 (光文社文庫)

杉浦 明平 / 光文社


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by takibi-library | 2012-01-24 17:25 | いつも読書 | Comments(0)