人気ブログランキング | 話題のタグを見る

読書は「手段」か「目的」か?

今日、友達から質問されました。
(私にとって)読書は「手段」か「目的」か?

直感的に答えるとしたら、「目的」です。

実用書を含めるとややこしいので、ここでは読書=小説を読むこととします。
どうして小説を読むのか。それはおもしろいからです。
読んでいる時間だけ、その小説の世界に入り、その先を知ることがおもしろいです。そういう意味では、映画や芝居もそうかもしれませんが、小説(活字)は入り込み方が自由に選べるところがいいです。

どういうことかというと、映画や芝居は私の想像力が入り込むより早く物語が進んでしまいます。
心にこんこんと幸福があふれてくるようなひとことがあっても、それをかみしめて、以前の同じような感動を思い出したり、いつか私の大切な人々に(できたら私の言葉で)そんな幸福感を感じてほしいと願ったりする暇がないのです。

もちろん、映画や芝居には、そのスピードの中でもずっしりと落ちてくる言葉がないわけではありません。小説の場合、そういう言葉が多いのです。私の気分や、体調に合わせて、ほんのひとことでさえも深くしみこもうと機会をうかがっているんです。

朝起きて、会社へ行って仕事をし、家に帰って寝るまで、あるときふとそのひとことが記憶の片すみからひょっこりやってくるのです。
これは私だけかもしれませんが、突然、前に読んだ本のある特定の部分を読み返したくなることがあります。それを読むと、ほっとしたり、あらためて思い知らされたり、誰かに会いたくなったり、夕飯の献立が決まったりします。

そこに、その言葉がある。

ということが、私の日々の生活の中でひとつのよりどころになっています。
その言葉に引き寄せられる自分を自覚することで、わが身を振り返っているのかもしれません。

そう思うと、「よりどころを求めて読書をしている」とも言えます。となると、読書は「手段」でもありますね。
でも、往生際悪く「目的」と言いたいかな。なんとなく「手段」って響きが冷たくないですか?「目的」はちょっと熱すぎるかもしれないけど。

by takibi-library | 2006-02-09 23:05 | くらし  

<< ちゃくちゃく旅支度。 「意味がなければスイングはない」読了 >>