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「グレート・ギャツビー」:いちばん好きな場面

村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」を読んでいます。
旧訳「華麗なるギャツビー」を読んだのは大学の1、2年生だったと思います。映画を観たことがなくても、読んでいるととにかく美しい場面、ギャツビーの邸宅や庭、そこからの眺めが、まさに目の前にさぁっと広がっていくようでした。

その中でも、私がいちばん気に入っているのは、この場面です。ギャツビーが想い人(という言葉がしっくりくるのです)であるデイジーと再会して、邸宅を案内して、たくさんのシャツを見せるところ。
ギャツビーは一山のシャツを手にとって、それを僕らの前にひとつひとつ投げていった。薄いリネンのシャツ、細やかなフランネルのシャツ、きれいに畳まれていたそれらのシャツは、投げられるとほどけて、テーブルの上に色とりどりに乱れた。僕らがその光景に見とれていると、彼はさらにたくさんのシャツを放出し、その柔らかく豊かな堆積は、どんどん高さを増していった。縞のシャツ、渦巻き模様のシャツ、格子柄のシャツ。珊瑚色の、アップル・グリーンの、ラヴェンダーの、淡いオレンジのシャツ。どれにもインディアンブルーのモノグラムがついている。出し抜けに感極まったような声を発して、デイジーは身をかがめ、そのシャツの中に顔を埋めると、身も世もなく泣きじゃくった。
「なんて美しいシャツなんでしょう」と彼女は涙ながらに言った。その声は厚く重なった布地の中でくぐもっていた。「だって私―こんなにも素敵なシャツを、今まで一度も目にしたことがなかった。それでなんだか急に悲しくなってしまったのよ」
美しいことは、色彩が溢れていることは、ときに途方もない悲しさという形で心の中に広がります。そして、デイジーにとってそのシャツの積み重なりは、自分とギャツビーが離れ離れでいた時間の積み重なりに見えたのでしょう。それが美しいほどその間の喪失感を強く自覚したんだと思います。

はじめて読んだときも、この場面では涙が出ました。今回も変らず。
美しいんです。ほんとうに。

グレート・ギャツビー
村上春樹 / / 中央公論新社

by takibi-library | 2007-02-14 23:05 | いつも読書  

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